2011年10月 私46歳の時、タイですごい洪水があり、
この時、担当していた工場も被害にあい、建物の中で約1.6m浸水しました
水が引くまでに、約2か月
その後、多くの人の努力で、工業団地内で最速の復旧を行うことができました
洪水~復旧までの経緯とその中で経験したこと、学んだことをブログに残しています
今回は金型のメンテナンス、治工具の引き上げ~代替え工場を借りて、部品の生産を始めるまでの話です
金型メンテナンス
前回のブログで金型を水から引き上げる話を書きました
その後、金型メーカにお願いし、場所と設備、人をお借りしてメンテナンス開始です
金型メーカさんの人員、弊社の人員、日本からの支援者での共同作業です
引き上げ現場ではとにかく引き上げ~移動優先でしたので、どの金型が引き上げられたかロクにチェックできていませんでしたので
まずは、金型メーカーの倉庫に運び込んで、リスト作りからです
白い服着た弊社メンバーが一つ一つチェックしています
リスト作りと並行して、メンテナンスです
金型を開くと、思ったより錆もなく一安心(ホッ!!)
これらを、分解して、きれいに磨き手入れしていきます
膨大な数の金型ですが、優先順位を決め丁寧に作業していきます
弊社従業員は、自宅復旧は後回しで泊まり込みの作業です
日本からの支援者も、洪水の中、出張してきてくれました
さらに、金型ーメーカさん
2社ほどお願いしました
日頃のお付き合いがあるとはいえ、膨大な場所と人と設備、これらを提供いただいたこと
感謝しかありません
治工具の引き上げ
金型だけ引き上げても、生産はできません
次は、治工具の引き上げです
治具というのは、製品の組み立て時に品質の安定や、作業者が作業をしやすい容易にするために使う道具です。
工具は文字通りですね。工場には欠かせません。合わせて「治工具」と呼びます
これらは、社員で引き上げました
治具類は会社の近くの、工場をお借りしました
社員を集めて作業でメンテ開始です
ある意味、のどかな雰囲気でした
皆、何をしていいのかわからない状態から復旧に向けて少しづつ、するべきこと、できることが見えてきて充実感を感じているように思えました
このお借りした工場は、日系のメーカーで操業からあまり時間がたってなく、弊社が初めてのお客さんだったようです
社長さんがそのことにすごく感謝してくれて、
「どうせ仕事もないし、好きななようにつこてや~~~」
て言ってくれて、非常に助かりました
この工場だけでなく、後程述べますが、代替え生産をするためにホント多くの人に助けてもらいました
学び9:世の中、本当にやさしい人たちがいる。その優しさの中で生きることができる
ということを実感した日々でした(「実感」という表現がチープなくらい身に染みました)
この工場の社長さんはお話しても、すばらしい人格者で、「こんな人がいるんだ~~~」と
思うくらい感激しました
ちなみに、ご自分の技術・技能にもプライドを持っておられ、
「技術の安売りはしません」
と常々言っておられました
そのため、操業開始時、なかなか仕事がなかった背景があったようですが、今では仕事も増えて、工場も拡張されています
学び10:自分の会社の「付加価値」を明確にし、適切な価格で商売する
この基本を忘れてはダメですね
今の日本のように、付加価値高めるのではなく、給与を減らし、投資を抑えて利益を稼ぐようでは国は貧しくなるばかりです
お借りした工場の社長さんのような、気概を持った経営者がおられること、嬉しくなります
日本側の状況
そのころの日本側の様子です。
日本の親元は、洪水直後は
「水が引くまでなんもできんやろ。身の安全第一に過ごしてちょうだい。必要なもんがあったら言うてや。送るし」
みたいな感じで、結構優しかったです
この時、ゴムボートやゴム長、コメ、水などを送ってもらい非常に役立ちました
でも、ゴムボートは水中のわけわからんもんに引っかかっして、速攻使えなくなりましたが・・・
当初、日本の洪水の感覚で水が引くのにそれほど時間がかかるとは思っていなかったようです
水がいつ引くかわからんない状態を理解し始め、金型が順調に引き上げられたことを知ると、日本の態度が変わり始めます
「金型あるんやったら、どっか工場借りて、すぐ生産せんかい!!」
って、言うようになってきました。そのトーンは日々高くなり、一番強くなったのは、代替え工場をお借りし、少しだけ生産ができるようになった時です
その時の様子は次の記事で書きます
復旧にかなりの時間がかかると理解し始めた日本は、さすがに主力商品の供給を止めてはいけないと、急遽日本で主力商品の生産の準備をすることになりまた。
完全に儲け度外視です。「お客さんへの供給を止めてはダメ」を最優先にした判断です
金型を新規でつくり、設備も導入、サプライヤーさんにお願いしまっくって部品・材料を集め、全国から人を集め、2か月後には日本での開始しました。
正直「スゲー、日本のものづくりの底力」って思いましたね
後で聞きましたけど、工場長はかなり精神的に追い込まれて、倒れる寸前だったとか・・・・
ひょっとしたら、私よりもストレス掛かっていたかもしれません
「お客様への商品供給の責任」と「自社の商品を守る強い執念」
がなせるワザだったと思います
代替え工場での部品生産準備
話をタイに戻します
金型、設備(治具)の引き上げ、メンテも進み、次は代替え工場での生産の準備です
浸水後、数週間たっていますが、自分の工場の水が引く気配はありません
浸かったままです
仮に水が引いても、建物の復旧には時間がかかります
日本から言われるまでもなく、その間、どこかで生産をしなければなりません
・部品生産(プレスや成型)をしてもらう工場
・組み立てをする場所をお借りする工場
・材料を供給してもらう工場、商社
の確保が必要です。
幸い、材料(プラスチックや金属、電子部品等)のサプライヤーの工場はすべて被害にあわず、供給可能であることを確認できました。
あとは、工場探しです
従来からお付き合いがあり被害にあっていない工場もありましたが、もともと自社で生産していた部品は新しい工場にお願いせざるを得ません、
ローカルたちがツテを頼って、あちこちと探してきてくれました
整備した金型・治具を材料を送り込み、少しづつ生産を開始です
我々の従業員たちもその工場に出社してもらって、一緒に作業してもらいました
私も、お世話になった工場を訪問させてもらいましたが、本当に小さい小さい町工場がほとんどで復旧までの短期間にかかわらず、協力いただき感謝です
こんな感じの工場です
応援に行ってもらった従業員です
彼女らのアイデアで部品サンプルボードも準備してくれていました
復旧後引き上げるのが本当に申し訳なかったです
まとめ
治具を引き上げ、金型をメンテし、代替え部品生産工場での準備を始めるまでの話を書きました
何度も書きますが、従業員の献身的は努力と、多くの人の協力により何とか前に進んでいる感じです
「海外の人は、会社に対するロイヤリティが低い」
と言われることも多いですが、決してそんなことはないと思います
会社を愛し、ブランドを大切にし、献身的に働く人たちも沢山います
また、そのように素晴らしい従業員を育成してきた、先輩たちにも感謝です
毎日毎日、多くの感謝の中で、復旧作業を進めることができた日々でした
つづく・・・・
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