海外赴任先の海外連結子会社を閉鎖した経験があります
こんな仕事はできるならしたくない仕事ですが、時代とともに環境が変化するなか、やむを得ない決断をしなければならない時はあります
その時の経験を備忘的に書き留めています
第5回目、工場の閉鎖が決きまってから発表までの活動
頼りない日本相手に孤軍奮闘です
決まってから発表までにしたこと
工場閉鎖が決まってから従業員に発表するまでにしたことを簡単に書き出すと
・撤退までのスケジュール
・商品の移管先の決定
・作り貯め台数の決定と生産スケジュール
・販売会社への説明(弊社は工場と販売会社が別法人です)
・マスコミ対策(公表はせず、Q&Aのみ準備)
・従業員対策(発表内容、退職制度、従業員の不測の行動対応等)
・サプライヤー対応
(作り貯めのために、生産台数が急激増えます。その対応を密かににお願いする必要があります)
(さらに、工場閉鎖後、弊社からの注文がなくなることを伝えなければなりません)
・撤退費用の資産
・土地建物売却準備(公表後では遅すぎ 年単位で時間が必要らしいとのこと)
(結果的には運よく早期売却ができましたが・・)
主な活動としてはこんなもんでしょうか
これらを、限られた人員のみで行います
準備が整うまでに従業員が知って組合が動き出すと、どうなるか予測がつかないので、なかり情報のコントロールは慎重に行いました
これらの、すべてについて経緯を話すと、強烈に長い文章になるので、それはやめて
いくつかの活動を取り上げ、活動を進めるにおいての関連部門との連携につて書いてみたいと思います
最初のハードル:日本側は他人事
このように書くと極端かもしれませんが、撤退を決めた日本本社は、いったんそこで仕事終了です
「決まったから現地よろしく」
って感じでしょうか
「オイオイ!! (*_*)」
って何度もおもったことか
従業員に発表までにすることの内容は、ほとんどは現地では決めれません
現地で決められるのは従業員の対応くらいでしょうか?
これも、退職制度はかなりのお金が絡みますから、決定はできません
私も情報がない中、自分なりにするべきことを書き出し、日本に帰って関係者を集め、プロジェクト体制を作ってもらうように依頼し、なんとか進み始めた感じです
プロジェクトも、私が必要性を訴え、依頼しても動きません
まずは、素案を作って社長にプロジェクトの日本側責任者と事務局を指名してもらうところから始めました
そして、それぞれ役割を決めて担当者の配置を各部門へ依頼
最初は名前だけで本気で動かないメンバーもいて、本当に困りました
こういうネガティブな仕事にだれも積極的には動ないですね
これは、撤退が決まる前、業績が悪いころから感じていましたが、沈みゆく船には乗りたくないものです
このあたりの経験が、会社に対するロイヤリティを急速に無くした背景だったような気がします
(今、私は日本の本社には一時帰国しても絶対に近づきません)
移管商品、移管先決定
いろんなことを、決めていかなければならないのですが、なかなか決まりません
まず最初に困ったのが、どの商品をどの工場に移管するか
作っている商品が儲かる商品ばかりではありません
儲からないけど、お客様に供給継続しなければならない商品もあります
各工場、儲かる商品は引き取りますが、儲からない商品の引き取りは嫌がります
この交渉を最初日本側は当事者同士(私工場と相手先工場)にさせようとしました
私は、「ええかげんにせぇ」と日本側に思いっきり文句を言って、
「日本側で商品戦略、拠点戦略を明確にして、各工場に指示せんかい」
と話を持っていきました
さほどない政治力を使って幹部を使って、個人的にも説得し、何とか動いてもらいましたが、ホント、情けない気分になりました
作り貯め台数
移管する製品、移管先が決まったら次は、移管期間に必要な在庫数量(作り貯め数量)の決定です
これも、本社を通して各国の販売会社にお願いしました
でも、移管後の生産再開は1年以上先の話です
どの商品がどれだけの数量必要かは、正確にはわかりません
どの国の販売会社も、商品の在庫が切れて売れなくなるのが心配なので、多めの数量を要求してきます
しかし、作れる数量は限られています
作れても、保管する場所がありません
販売会社の在庫として持ってもらいたいのですが、どの会社も嫌がります
なかなか決まらなかったです
決まらないと、部材の発注、生産計画の立案もできません
ある程度見切りで進め、走りながら調整しました
このあたりになると、日本本社も自分の仕事と認識してくれたのか、販売会社と工場の間に入っていろいろと調整してくれるようになりました
だた、決めきれない(´;ω;`)
でもリスクを心配していたらいつまでたっても決まりません
仕事を推進させるには「責任ある立場の人がリスクを背負う覚悟をもって決める」って重要ですね
そのほか
そのほか、細かいことを言い出したらキリがないのですが、表向きは平静を保ちながら準備を進めました
ことが始まって、3ヶ月くらいしてからでしょうか、関係者にも当事者意識が生まれ始め、何とか回り始めた感はありました
作りだめ準備に日本からも支援来てもらえました
(支援に対する熱意は、人により結構バラツキいていましたが・・)
当事者意識を持ってもらうって、ほんと難しいなぁと思った期間でした
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